セブン・センス【2】 セドナとネイティブ・インディアン
セドナは今でこそ「癒しの地」としてアメリカ国内から、また海外からやってくる人々でにぎわっていますが、かつては店もほとんどない静かな土地だったようです。
アメリカでは極めて犯罪の少ない土地で、ベジタリアンが多いのも特徴です。
2010年度にセドナを走る道路が整備されて、大型バスも通行できるようになりましたので、アメリカの北部や東部から、ご年配のツアーバスが以前より頻繁に見られるようになりました。
彼らは山には登らず、温暖な気候と景色を楽しむツアーのようです。
海外から来る人は圧倒的に日本人が多いです。
思い違いしやすいのですが、セドナにはネイティブ・インディアンの方は居住していません。
リチュアルのために来ています。かつては住んでいましたが、アメリカ連邦政府の政策でネイティブ居住地域というのが制定されていて、北部につくられた居住地域に移されました。
そこはウラン鉱の真上に位置していました。ネイティブの人たちには詳しい事情を知らされずに、ウランの採掘に借り出されていました。
その地域から突然多くのガン患者が出たことで、調査が入り実態が明るみにでたようです。
2011年にドキュメント映画の上映が日本でありました。
19世紀末、アメリカ陸軍がサウスダコダ州のウンデッド・ニーという小さな町で、子どもを含むネイティブを不意打ちにして、虐殺しました。
ここにラコタ(スー族)を中心としたネイティブがたてこもりました。
これに対して連邦政府は、内戦として南北戦争以来最大規模の軍隊を導入し、デニス・バンクスを始めとする数百人を逮捕して幕を閉じました(猪熊博行『風の民』社会評論者より)。
1900年代に発表された論文があります。
テオドラ・クローバー(1961)博士の論文で、邦訳は行方昭夫『イシ 北米最後の野生インディアン』岩波書店(1970)です。
「1911年8月29日にカリフォルニアで行き倒れになっている人間が発見されました。
発見した保安官らが野蛮人と呼んでいた人はヤナ族に属するヤヒ族の男性でした。
その男性は北米野生原住民の生き残りの人でした。
ヤナ族もヤヒ族も絶滅していて現在はいません。
彼らの祖先はカリフォルニア北部に住んでいましたが、白人がやって来て壊滅させられました。
1864年の1年間だけでもヤヒ族を除いて、2000〜3000人のヤナ族のほぼ全員が白人移住者によって虐殺されました。
イシと名つけられたその男性はその頃まだ小さな子どもでした。
1865年にはヤヒ族の皆殺しが始まりました。
1870年代には生き残っているのはほんの一握りになったようです。
20世紀(1900年代)にはたった5人になりました。その中には母と妹(または従姉)とイシがいましたが、そのうちにイシと母だけになり、1908年に母が亡くなると1911年に発見されるまでイシは完全にひとりで生き延びていました。・・・・」
この男性は発見されて4年後に亡くなりました。
現在はかつていた数十部族のネイティブのうち、数部族しか存在していません。
1960年代から70年代にかけて、アメリカでは黒人の自由と権利を訴えた公民権運動がありました。
ネイティブも自分たちの権利を求めて運動をしました。
中でも有名なのが、アルカトラスとウンディド・ニーの占拠です。
アルカトラスと言うのは、サンフランシスコ沖にある小さな島の名前で、かつてここに刑務所がありましたが、廃止されて観光地になっていました。
闇夜にネイティブがそこに上陸して19ヶ月に渡って占拠して世論に訴えました。
ウンディド・ニーは上記に書きました町です(猪熊博行『風の民』社会評論者より)。
こうして、静かな癒しの地とは対照的な戦いが繰り広げられてきたのです。
運動では、ネイティブたちは自分たちの漁業権、狩猟権、領土の回復、居住地での自治を訴えました。
そして、各部族では伝統を守るために部族大学を設立して、現在は33校あるそうです。
神聖なリチュアルの地には、ホテルが建ち始めました。
中でも、最もネイティブが最も神聖な土地としていたところに、アメリカ資本の高級ホテルが建設されました。
建物はセドナに一般的にあるサンタフェ形式の建物ではなく、平屋で部屋もロッジのように独立しています。
広大な敷地の中央付近にプールがあり、一番眺めのよい場所にレストランもあります。
そこからは目前に赤い山が迫ってきて、下にはオークウッド渓谷の川が流れています。
あまりの迫力に圧倒されました。
けれども、ネイティブの歴史を考えると、一番神聖な土地までも・・・・・という感はぬぐえません。
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