セブン・センス【18】 モンセラート修道院
スペイン、バルセロナ郊外にあるモンセラート山には切り立った不思議な山をえぐるように修道院が建造されています。
ベネディクト会のサンタ・マリア・デ・モンセラートという名前の修道院です。
ここは、スペインのガリシアのサンディアゴ・デ・コンポステーラと並ぶ二大聖地として、古くから多くの信者を集めてきた地です。
黒い聖母子像が安置されています。
防弾ガラスに包まれた聖母子像。聖母マリア様が持たれている丸いボールは地球を表しています。指でキスをします。
880年、モンセラートの岩山に光を見つけた羊飼いの子供たちは、洞の中に聖母子像を見つけました。
知らせを受けた司教はこの聖母子像を運び出そうとしましたが、重くて運べませんでした。
司教は聖母子像がこの地にあることを悟り、修道院をたてました。
モンセラートへは切り立った山を登りたどりつきます。
登山鉄道やロープウエイがありますが、時間がかかります。バスでも行けます。
モンセラートはノコギリ山という意味で、それをモチーフにしたマークがあります(写真左)。右は修道院の入口になります。
左:サグラダファミリアの像を手掛けている作家が造った聖母像。どこから見てもこちらを見ているように見えます。
右:岩山をえぐりとるように建てられた修道士たちの宿泊施設。
修道院の中庭に入り、正面の修行の建物を見る。
左:修道院の脇には願いを叶えるために写真や本人の身に着けたものが置かれています。
右:祈りのために、美しい色のローソクをともします。
モンセラートの朱い本について
中世西洋の歌曲集。13C(1399年)の手写本で、13〜14C、モンセラート修道院へ参ずる巡礼者たちによって歌い、踊られた10曲からなる。
19C初め、フランスのソオー伯爵がモンセラート修道院から借り出した。
その後赤いビロードの表紙になり、モンセラートの朱い本の名前がつきました。
モンセラート修道院の少年合唱団はウイーンより歴史が古く、多くの音楽家を輩出している。カザルスもその一人です。
モンセラートは1811年〜12年のスペイン独立戦争の際、侵入してきたナポレオン軍によって、火災の被害になった。
修道士たちは余儀なくこの地を離れることになり、修道院は廃墟になった。
1844年、モンセラートは再び独立を果たした。
しかし、1936年〜39年にかけてのスペイン内戦の時、修道士たちは開山以来もっとも過酷な迫害を左翼によってなされた。
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