セブン・センス【3】 ヤマトタケルの皇子
今年の2月に房総半島を一望できる小高い丘に行きました時に、「白鳥神社」という名前の神社がありました。
ゴルフコースが神社の参道を横切っているめずらしい(不遜な形状)ところでした。
参道である急勾配の階段を登ると、白鳥神社でした。
おとずれる人がほとんどいない感じでしたが、その清廉なたたずまいは神社特有のすがすがしさをただよわせています。
お祀りされていましたのは、ヤマトタケルの皇子とその妻でオトタチバナヒメでした。
写真を撮りましたら、紫色の大きな輪が出ていました。
眞名井神社の時と同じ輪でした。
来訪を喜んでいただけたことを感謝します。
ヤマトタケルの皇子は父である景行天皇の命により、東征をはたすために、速水から上総へ向かう途中、海上で難に会い、オトタチバナヒメが海を鎮めるために、海上へ身を投じたとされています(古事記によると110年)。
ヤマトタケルの皇子は命をながらえて、各地で戦い、父の命をはたすことができました。
各地にヤマトタケルの皇子にまつわる神社が存在しますが、主に近畿地方を中心としています。
最後を迎えた三重県北部には、ヤマトタケルの墓とされる古墳(白鳥陵)があります。
名前の由来は、亡くなる時に都と別れ難い人を思って、白鳥になって飛び立ったという伝説からであります。
白鳥神社という名前のゆかりの神社は、東かがわ市にもあり、(白鳥となって飛び立ったヤマトタケルが舞い降りたという伝説)大鳥神社という名前の神社もいくつか存在するようです。
房総の白鳥神社はオトタチバナヒメと共に祀られていました。
オトタチバナヒメ殿の前にはお賽銭箱がなく、胸をいためました。
社の上には大きな櫛が掲げられていて、ヒメの功績を物語っています。
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